KNOWLEDGE

湖岸と田んぼと魚の関係の移り変わり 魚のゆりかご水田について#02

昭和40年(1965年)頃まで

琵琶湖周辺の田んぼは、琵琶湖の水位変動による影響を受けやすく、浸水被害に見舞われたり、田舟による農作業を余儀なくされるなど、農家は大変苦労されていました。

一方で、琵琶湖とつながる湖岸の田んぼは、エサとなるプランクトンが豊富で水があたたかいことから、湖魚の産卵・成育に格好の場所となっていました。

写真提供:滋賀県立琵琶湖博物館
昭和29年(1954年)奥村和夫氏撮影

昭和40年(1965年)以降

生産性の向上や農業経営の改善のため、ほ場整備が進められました。
その結果、 農地の大区画化や乾田化が図られ、大型農業機械が使えるようになるなど、農作業が効率的に行えるようになりました。

一方で、乾田化のために水路を深くしたことから、湖魚が田んぼに遡上しにくい環境となりました。

整備された水田と排水路

今、そしてこれから…

農業生産性を維持しながら、湖魚が田んぼへ遡上できるように、排水路に魚道を設置しました。
堰上式魚道を排水路に設置すると、排水路の水位を階段状に田んぼの高さまで上げることができます。こうすることで、琵琶湖から遡上してきた湖魚が、田んぼに入ることができます。

そのほか、田んぼ一筆ごとに魚道をとりつける「一筆型魚道」の設置もすすめています。

follow us